経営者インタビュー
経営者に聞く「荏原製作所シンガポール久保田博通社長」 トップインタビュー
2)海外事業立ち上げを連続で成功させていく
内藤:次も海外にご勤務ですよね?
久保田:次は1995年に日系の鉄の精密加工部品メーカーに転職し、香港ベースで海外事業の立ち上げ責任者を担いました。
正直なところ、鉄に関連する経験も知識も何一つなかったのですが、当時のオーナーが私のことを気に入って「一か八かで、27歳のこいつに賭けてみよう」「ダメだったらクビにすればいい」といって機会をくれたらしいんですよ、後から聞いた話では。
当初掲げられていた目標を立上げ1年目でクリアできた。前職が過酷だったこともあり「事務所でデスクに座って住所のある場所へ営業できるのに何が難しいことあるか」って思いながらやっていましたね。
タイで大型の受注が決まりタイ拠点を立ち上げ、その後ドイツの顧客、フランスの顧客を開拓しながら欧州にも販路を広げていく。受注が進んでいく中で、安価製品の製造を設ける必要があると思い中国東莞市に新工場を立ち上げさせてもらいました。
内藤:製造から販売まで一気通貫で海外事業の所管で実施できるようになったということですね。
久保田:そうです。ただ、本社の意向もあり日本で生産した部品の拡販にも力を入れるようになりました。これをきっかけに米国市場にも挑戦します。
2000年ごろですね。OA関連業界には兼ねてから伝手はあったものの「米国に挑戦するなら自動車業界、そして当時勢いのあったT社と仕事がしたい」と目標を掲げていました。最初の飛び込み営業から4年かかってT社グループの某車種用の部品を納品させていただけることになりました。
自動車業界への参入はこれが初めてだったので、大きな飛躍につながりました。
そのあと、自動車関連他メーカー様とのお付き合いも広がり、2005年に米国現地法人を立ち上げました。受注が先行してから法人を立ち上げるというパターンで、着実に世界各国での事業を拡大することができました。
当時、時代の流れもあり会社全体の多くを海外取引が占めていました。自動車関連メーカー様はじめクライアント様からいろいろ教えていただくことがあり、こちらでの経験が私の職業観の土台になっていると思います。
内藤:香港本店をベースに、タイ事務所、中国工場のマネジメントをしながら米国法人を立ち上げて、そこで米国に移住された、と。まさに八面六臂のご活躍ですね。とはいえ、そちらも転職してしまわれる。
久保田:はい、前職で海外事業責任者として事業を大きくしたあとに、次は取り組んだ事のないアフリカや中東市場もチャレンジしてみたい、と。また家族の事情もあり転職しました。産業ロボットを取り扱う会社で欧州とアフリカを所管する予定でした。
ただ、2008年のリーマンショックの影響で欧州市場はかなり厳しく、香港に異動してアジア事業を担当することになりました。しばらく香港をベースにやっていましたが、どうしてもまたアジア以外の市場で経験を積みたいとの思いがあり、転職を決意しました。
内藤:そこで前職のT社グループですね。