経営者インタビュー
経営者に聞く 「日本航空 シンガポール支店 土橋健太郎支店長」 トップインタビュー
2020年3月当時、シンガポール基地の客室乗務員はシンガポール人を中心に百数十名おりました。少ない運航便のなかで乗務しても帰国時には、2週間のホテル隔離期間が必要という問題にも直面しました。これは会社の財務上の負担にもなりますが、何よりも、乗務員たちの精神面でも厳しいものがありました。やむなく2年間に亘って乗務を休止することを決断しました。
シンガポールでは、転職が頻繁に行われます。新規での採用が難しい状況だったことに加え、転職も重なり自然と人が減っていきました。仲間が減る、旅客機を飛ばすこともままならない。そうしたなか、残ったメンバーは不安を抱え、シンガポール基地がなくなってしまうのではないかという不安の声も上がりました。不安を解消するために、私は「車座」を実施しました。これは、乗務員、空港で働く地上職職員、総務などの内勤スタッフ、旅客・貨物営業スタッフなど支店の全スタッフとの対話を10数回に分けて行い、胸襟を開いたコミュニケーションを図るものです。
私は、可能な限りリアルタイムで会社の財務状況なども含め様々な情報を共有していきました。現状が把握できることは安心につながりますし、困難な状況でも前を向いていこうという気持ちになれます。
また、日本人を含め、当地における外国人スタッフの間には、国境が閉じられたことで母国が急に遠くなってしまったという感覚もありました。それに加えて、在宅勤務のなかではオフィスでのちょっとした雑談といったコミュニケーションもなくなります。こうしたなかでは、心のケアが重要な課題となりました。困難がありましたが、雇用は守り切ることができました。
photo by Fariz Priandana
川端:旅客便が大幅に減ってしまうと、オフィス業務も大きく変わったのではないでしょうか。そして、客室乗務員の方々の環境は激変したのではないでしょうか。
土橋:今だからできることや、普段は日々の業務で手が回らなかった業務を進めました。例えば、マニュアルの見直しなどがあります。そうしたなかでも、普段、飛行機に乗ることを仕事にしている客室乗務員は、2年近くも在宅勤務をしなければならず、特につらかったでしょう。
シンガポール人乗務員にとって、日本語能力の維持は大きな課題でした。日々の業務で日本人社員や日本人のお客さまとのコミュニケーションを通じて、日本語能力の維持向上を図っています。その機会が無くなってしまった。そこで、乗務員同士でグループを作り、日本語のトレーニング、サービスのシミュレーション、ロールプレイングなど様々な工夫をしていました。
皆が通常の乗務に復帰できたのは2022年4月1日からでした。長い、長いブランクでした。
川端:普段、飛行機に乗ることを仕事にしている方々がコロナ禍の中でいかに苦労されてきたか、そして久しぶりに乗務できたときの喜びがうかがえます。
土橋:様々な言葉が支えになったことでしょう。
一例ですが、日本拠点の日本人乗務員からは、シンガポール基地の乗務員に対して、「また一緒に乗務出来ることを楽しみにしています」といった励ましの言葉を沢山もらいました。意識的に、前向きなコミュニケーションをすることが大切でした。
川端:シンガポールは国際線がありませんので、旅客便が止まるということは、すなわち乗務がない、ということになります。
土橋:他の手段がないという大変厳しい状況でした。 日本の乗務員は国際線が止まって乗務時間は減ったといっても、まだ国内線での乗務の機会がありました。
川端:そうした2年ほどの期間、様々な苦労に対峙して乗り越えてきましたが、現状はいかがでしょうか。
土橋:おかげさまで、コロナ禍前の状態に戻ってきました。強いて言うと、円安の影響などで日本からのお客さまについては、私が赴任した2018年に比べると、今一歩かと感じています。今年の夏休みには、日本人のご家族連れのお客さまもずいぶんお見受けしましたが、2018年に比べると少ないかなという印象があります。また、特に日本の国内線においてはビジネスでの出張もリモートワークの普及でコロナ前の水準まで完全には戻りにくいと感じています。