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経営者に聞く 「NECコーポレーション(タイランド)栗原伊知郎社長」トップインタビュー
ASEAN経営者インタビュー
(写真左から) NECコーポレーション(タイランド)栗原社長、SPEEDA ASEAN Japan Desk 藤田勇一
「経営者に聞く」インタビューシリーズ
SPEEDA ASEANでは、ASEAN市場で挑戦している皆様を、経済情報とコミュニティ作りを通してご支援しています。
「経営者に聞く」インタビューシリーズでは、ASEAN地域で事業展開する日系企業の代表者の方々に、ご自身の経営哲学や信念、海外事業経営の醍醐味(挑戦の難しさと面白さ)をお伺いし、ご本人と会社の魅力を読者の方々にお届けする企画です。
今回は、SPEEDA ASEAN Japan Deskの藤田勇一が、NECコーポレーション(タイランド)栗原伊知郎社長にお話しを伺ってきました。
NECのタイの歴史は古く、1960年代に遡ります。タイ全体のITインフラの発展に貢献し、50年以上も現地でビジネスに取り組んできたNEC Corporation(Thailand)Ltd.を率いる栗原社長にお話を聞きました。
入社当時からの変遷
藤田:まずはご入社から現在に至るまでの経緯について、お聞かせ頂けますでしょうか。
栗原:入社以来ずっと海外部門で、はじめはインドネシア担当でした。当時のNECが保有する海外向け製品を、すべて扱っていました。当時(92年)は現地法人がなく、日本から直接輸出をした時代です。それから、かれこれ数十年、東南アジアに関わっています。
藤田:入社当時から、海外勤務を希望されていたのでしょうか。また、当時はどのようなご経験が記憶に残っていらっしゃいますでしょうか。
栗原:新卒の配属面談で「通信インフラを支えることで、発展途上国の生活の質向上に貢献したい」という強い思いを伝えたところ、無事に配属されました。担当した当時のインドネシアでは大きな変化があり、次々と案件が増えていきました。
当時はまだ紙が主流の時代で、徹夜で作成した提案資料を10箱以上の段ボールに詰め、翌朝のフライトに向けて本社から成田空港に持って移動したこともありました。空港のチェックインカウンターでとても目立っていたことを今でも覚えています(笑)。
インドネシアに着いてからも、資料の内容の変更や差し替えがあり、現地スタッフと協力しながら奮闘していました。契約が取れれば億単位の実績になるので、資料提出後の詳細説明や価格交渉なども、一緒に一喜一憂しながら進めていました。
藤田:色々順調そうに見えますが、インドネシアは難しい時代に入っていくタイミングでしたよね。
栗原:その通りです。97年ごろからアジア通貨危機が起こり、インドネシアも98年から景気が悪くなりました。当時、長く続いていたスハルト政権が崩壊し、街中でデモや騒乱が起きるなど治安が悪化していきました。駐在員の帯同家族は国外に退避させられましたが、その後フライトも飛ばなくなってしまい、政府が救出のために専用機を出すような状況でした。結果として、プロジェクトは全て小休止になり、担当案件がなくなってしまいました。
その頃、タイの方がすでに落ち着いてきていたので、98年の夏からタイを担当することになり、日本で営業として経験を積んだ後、03年から09年までタイに駐在しました。その後、日本へ帰国し、日本から東南アジアを担当していました。
藤田:日本でのご担当領域がかなり広くなられたとのことですが。
栗原:当初はタイ・ラオス・カンボジア・ミャンマーを担当していて、追加でベトナムやフィリピンも見るようになりました。その後、バングラデシュとスリランカも追加されました。バングラデシュについては、非常勤ですが現地オフィスの所長も兼任し、リモートで仕事をしていました。
その後、16年にインドネシアへの辞令が出て、現地法人社長を4年半務めました。その後、20年からタイ赴任となり、現在に至ります。