経営者インタビュー
経営者に聞く 「東レインターナショナル シンガポール馬場孝一郎社長」 トップインタビュー
シンガポール、インド、再びシンガポールへ
内藤:どのようなキャリアを経て今回のシンガポールの社長就任となったのでしょうか。
馬場:私は1988年に東レに入社して、最初のシンガポール駐在のチャンスが巡ってきたのは95年でした。1995年から2002年までの7年の駐在期間中は仕事もプライベートも非常に充実しておりました。
そして、日本には戻りたくないと強く思いながらも、シンガポールでの7年の任期が終わりを迎えてしまい、日本の営業部に戻りました。
内藤:長いシンガポール駐在でしたね。とはいえ、まだまだ名残惜しい部分を残しながらのご帰任だったと。
馬場:はい、いったん大人しく日本に帰りつつも、ずっと上司や人事には「またいつか絶対に、シンガポールに駐在したい」と言い続けていました。そうこうしているうちに、今度はインドに新しい営業拠点を作るということで、社内公募がありました。「少しでもシンガポールに近いところに居たい」そう思って手を挙げました(笑)。
内藤:インド駐在に手を挙げるのは勇気が要りますね(笑)。
馬場:インドは人気がないかと思いきや、30人くらいの応募があったそうです。ありがたいことに2011年から2017年までの6年間、現地法人の社長を任され、ムンバイに駐在しました。
経理から総務、ITまで全部マネジメントすることになり、非常にいい経験をさせてもらいました。また、立ち上げ期のため、社内でもちょっとしたインドブームが沸き起こり、本社の色んな部署の人が支援や営業に来てくれ、自分の顔と名前を覚えてもらい、社内の人脈も一気に広がりました。
毎日がハプニングのインドで開いた突破口
内藤:インドでのハプニングや印象に残った出来事をお聞かせください。
馬場:とにかくエブリデイがハプニングでしたね(笑)。仕事も生活も。マネジメントをしながら営業活動もして、インド中を飛び回って、各地のインド料理を食べて、どっぷりインドに漬かりました。
事業で印象に残った出来事としては、当時、インドの風力発電の事業分野に日系企業として斬り込みたいと思っていまして。風車メーカーに対して、風車のブレードに使う炭素繊維素材の営業提案に行っていました。
外資勢が占めているなかで、我々の素材を買って採用してもらえた時は本当に嬉しかったですし、インド拠点として新しい分野の突破口を開いてみせた思い出の出来事でしたね。また、樹脂コンパウンドのスキームを作ったり、水処理用のRO膜のビジネスも拡大することができました。
内藤:インドが成長して行く中で、電力需要や水需要の伸びを支えられるようなお仕事だったんですね。事業開発にあたっては、どのように現地メンバーを指揮されていたのでしょうか。
馬場:私は社長として必要であればトップ同士の挨拶などに行きますが、交渉などは基本的にはインド人メンバーや他の日本人駐在員に任せていました。任せるのも仕事だと思っています。一方で、営業数字の見方やITツールの使いこなし方など、経営の効率化に向けた指導には力を入れました。
内藤:その後、日本の本社に戻ってから、どのようにしてシンガポール駐在のチャンスが巡ってきたのでしょうか。
自分の思いを伝え続ける
馬場:シンガポールに限って言えば、2度の駐在経験したことのある人は東レにはいません。半ばあきらめてたところでしたので、再びシンガポールへの異動を聞かされた時は、非常に驚いたと同時に不思議なこともあるものだなと思いました。
2002年からずっと周囲や人事に言い続けていた「いつか絶対またシンガポールに戻りたい」という願いが、約20年越しに叶いました。
内藤:インドを経て念願のシンガポールに戻られたのですね。
馬場:私のメンバーにも言っていますが、自分は何をやりたいのか、何が好きなのか、周囲に発信することが大事だと伝えています。